何年たっても、千年たっても、変わらない親心

2009/08/24

いま会報を作っているのだけれど、
何をやってても、すぐ気が散る私は、
コラムの連載をしてくれている、Tさんの原稿に感激したあまり、
そこに出てくる、紀貫之の「土佐日記」探しに、費やしてしまった。

Tさんの原稿を目にするまで、恥ずかしながら、私は
「土佐日記」なるものを、読んだことがなかった。
名前は知っているが、社会科でただ名前だけ丸覚えしていた。

紀貫之は、女の子を小さいうちに失っており
この子の死を、いたく悲しみ、いつまでもいつまでも
この子のことを想って過ごしたのだと知る。
そのことを詠った歌が、土佐日記のなかにあることなど、私は知るよしもなかった。
母は母なりに、父は父なりに、切々と詠っている。
(まだ会報が出せていないので、Tさんの箇所に触れるのはやめておこう)。

そうか!高校の国語の教科書に載っているのだ、と知り
私はすぐさま、ダイキに国語の教科書を見せてもらった。
あれ?ない・・・ 
このとき、知った。
亡き子を偲ぶ歌は、土佐日記の随所で詠われているのだ。

ダイキの教科書(三省堂)にはTさんが引用した歌(明治図書から)はないけれど、
(門出と)「船出」と「帰京」があり、どちらにも亡くなった子のことが出てくる。
もしかして、どの教科書も、あえてこの子のことが出てくるところを使い
亡くなった子への親の思いに、重きを置いているのではないか、という気さえする。

例えば「帰京」では、次のように詠われている。
(その子は、家族と一緒に京都から土佐に渡り、赴任先の土佐で亡くなった)。

   思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、
  この家にて生まれし女子のもろともに帰らねば、いかがは悲しき。
  船人も、皆、子たかりてののしる。
  かかるうちに、なほ悲しきに耐へずして、
  ひそかに心知れる人と言へりける歌
  「生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ」

現代訳
 思い出さないことは何一つなく、恋しく思うなかでも、この家で生まれた女の子がいっしょに帰らないのが、どれほど悲しいことか。同じ船で帰京した人たちにはみな子どもが寄り集まって大騒ぎしている。そうしているうちに、やはり悲しさに堪えられず、ひっそりと気心が知れている人と詠んだ歌。
「ここで生まれたあの子も帰ってこないのに、我が家の庭に小松が生えているのを見ると、子どもが思い出されて悲しい。」

以上は、いまから千年前の親の想いである。
ふと、つい先日語られた、ご遺族の言葉が思い起こされた。
お子さんと一緒に庭に花の苗を植えたのに、
その子はそのすぐ後になくなった。
苗はどんどん背を伸ばし、花が咲いたときにお母さんが言った。
「あの子はもういないのに、あの子が植えた花だけがきれいに咲いて
その花を見るのが悲しい」。

いまも、いにしえの頃も、何も変わらないのが
なくなった子への親の想いなのだということが、よくわかる。