私の辞書で、載っているけれど使わないようにしたい言葉。

2009/10/20

有名な音楽プロデューサーが自殺し、告別式の様子をテレビで見た。
その人の友人の言葉が取り上げられた。
「旅立つ前に、君を愛した人らの存在を、少しは考えてくれただろうか。」

愛した人というのは、血縁ではなくても、遺族のように思える。
つまり遺された人。
遺された人は、そっと思いを語っていいように、思うのだけれど、
その人らの言葉を、「遺族」が知ると、それもつらいだろう。

先日ある企画で、自死遺族の会を運営するAさんと、一緒に出演した。
私は、すでに命を絶った後では、いい、わるい、は言ったことがないし
言うことでも、言えることでも、ないと思っている。
けれども、自死は、できればしないほうがいいと思っている。
これを言ったら、Aさんからは指摘を受けていたかもしれない。

私は、長い間遺族会をしていても、自死のご遺族をあまり知らず
「知らない」こと「わからない」こと、ばかりだという自覚の上に立ち、
よく思い浮かべる、自死のご遺族のことを話した。
このお母さんのこの家庭で、
子どもが自ら命を絶ってしまうわけが、どうしてもわからなかった・・・
と、そこまで話したとき、
「あなたは自死に偏見を持っている」
と言われた。

言われたことの意味が分らず、何がか尋ねると
自死には原因があると考えることが、自死に対する偏見らしい。
ますます、わからなかった。
病死でも、何死でも、必ず原因を考えるだろう。
考えて、原因がはっきりしているときと
あゆみのように、病名はあっても、原因は不明の場合もある。
自死だって、そうではないだろうか。
原因がなくても、起こりうるのだろうし、
明らかな理由や原因がある場合だって、あるだろう。
他と同じように考えて、なぜ偏見と言われるのか、わからなかった。

そうか、辞書が違うんだ!と思った。
人は頭の中に、それぞれ辞書をもっていて
そこに書いてある言葉の意味が、それぞれ微妙に違うのだろう。
一般的な辞書では、「偏見」と引くと、「かたよった考え」と出る。
でも、なぜか私の辞書では、
もっと失礼な意識を帯びた、色眼鏡てきな意味をもっている
そんな気がしたが、
きっとAさんの辞書では、「思い込み」あたりなのかな?
と想像したりした。

私は、こうもちかけた。
偏見という言葉に収まるのは、残念やわ。
私だったら、「知らない」人には、教える。
教えて、わかってくれたら、うれしいし、
教えても、わかろうとしない人は、
そういう人の中には、偏見をもっている人がいるかもしれない。
でも、「知らない」と偏見は、違うと思う。

Aさんから戻ってきた言葉は、
「じゃあ、知らなければ、人を傷つけてもいいの?」だった。
ズレは、辞書の違いではなかったようだ・・・。
もう少し話したかったけれど、時間切れになってしまった。

知らないからといって、人を傷つけては、いけないと、私も思う。
それは大事なことだが、
私がもっと心に刻んだことは、
偏見という言葉、できるだけ使わないようにしたい。
よっぽどのことがなければ、直接相手に向けたくはない。