生きている間じゅう、眠っているときも、していること

2010/04/21

きょうは自分の病院に行った。
この病院、受付をしてから、何時間で順番が回ってくるか
いつも不明。
きょうは、精算を終えたのが午後4時で、最高記録だった。

先生は、いつも最初に
「お待たせしましたね」と言ってくれ、
「何も困っていない?」と「ほかに聞いておきたいことは?」と
最後に必ず尋ねてくれる。
お昼も食べてないのに、さわやかに。

大手術を受け、長く入院した病院だけれど、
その後は、ずっと検診だけだから、
よそに移ってもよかったのだけれど、移っていかなかったのは
先生の「何も困っていない?」が聞きたかったからかな。
それと、過去の大きな試練を、あまり薄めたくないから、かな。
自分のいい生きかたのために。

大病をしたりすると、
生きることについて、深く考えるようになるが
まるで考えの及ばないことを、先日、人に教えてもらった。

なぜ人は生きていられるのだと思う?
唐突に聞かれ、私は、うーんと考えた。

意味があると思えるからかな?
どんなことにでも、意味を感じれば、価値を見出せるから。
と答えた。

「でも、眠っている間は、考えていないよね」
と返された。

ほんとだ。眠っている間も、生きているのだから
眠っている間もしていることといえば・・・
息!

ちょっと、げんなりされたので、
もっと深いことを言いたいと思ったけれど、
浮かばない・・・。

答えは、
ケアされているから、だった。

あー、確かに。
食べることも、休むことも、眠ることも、ケア。
ケアは、誰かからしてもらうだけでなく
自分でしていることなんだ。
いくら自暴自棄的でも、やっぱりしている。
となると、
人は、ケアをするために、生まれてきたのかもしれない。

ハイデッガーの「存在と時間」に、詳しいらしい。
昔、読んだつもりだったけど。