一人逝かせたんじゃないと思いたくて
2010/10/13 先日、ホスピスの看護師で屈指の、田村恵子氏を招き
専門職ばかりの勉強会を行った。
私は普段から、よく人の言葉がひっかかり
ひっかかったまま、留めておくのだけれど
この日ほど、ひっかかっていたことが、ストン、ストンと
まるで音が聞こえるように落ちていく日は、なかった。
参加者から、予想していた質問が出た。
担当の患者さんを看取ったあと、自分は気持ちを引きずってしまう。
どのように切り替えているのですか?と。
この質問に対する回答は、私を雲の上に乗せるようなものだった。
「その人だけが亡くなっていくと思えないんです」
一瞬、意味がわからなかった。
はっ、としたとき、目の前が明るくなったようで
そうだった!と思った。
田村さんは、自分の中に、その人の存在が残ること言っているので
意味はすっかり取り違えているのだけれど
深く感銘を受け、涙が出そうになった。
あゆみを見送るとき
この子を一人で行かせることはできない!と思った。
この何も一人ではできない、言葉もまだしゃべれない子を。
私も行く!みたいな、お母さんも連れてって!!みたいな。
でも、連れ行ってはもらえない・・・
立ち尽くしていた私は、取り残された境地だったのだけれど
あのとき、私の一部が、一緒について行ったような気がする。
だから、長らく、当たり前のことが、当たり前にできなくなり
自分が自分でないようになっていたのだと思う。
そんな私を、見つめる人々は、
しっかりしなさいとか
いけないことのように言ったけれど
ぜんぜん、いけなくなかったと思う。
あのとき、ああして、結局のところ
どうにかバランスを保つことができたのではないだろうか。
いまこうして、人並みに、
もしかして人並み以上の意気込みで、生きていけるのは
あの時期を、存分に経たからだと思える。
以後私は、
子どもの遺族が、どんなことを言っても、しても
そのときどきを、とにかく肯定し、認めたい
という考えをもっている。
きょうも、いまが相当苦しいご遺族を前にして
ほんとうに、身を割かれるようにつらいだろうけれど、
でも、きっと、貴女もだいじょうぶ と思った。