なぜ言っちゃいけないんですか。

2011/06/06

子どもの頃から知るおじさんが亡くなったと知り
母とお参りに行った。
告別式に行けなかったため、遅れて来る弔問客に
個別に対応するのは大変だろうと思ったが
おばさんは、病気の始まりから、介護、在宅での看取りの
一部始終を、こと細かに話してくれた。
むしろ、無心に話された。
母と私は、じっと聞いた。

話は、しだいにおばさんの孫の話に移っていった。
ずっと黙っていた母が、唐突に
「いたのようちにも、女の子」。

え、いきなり?と、私少しびっくり。
母は、おかしいときと、おかしくないときと、
おかしいところと、おかしくないところがあるので、
こういう切り出し方、というのは、
おかしい、に入るのか、
おかしくない、に入るのか、
どっちなんだろうと、まずそのことを考えた。

で、おかしいか、おかしくないかは、
次に、どのあたりを、どのように言うかで、
見当がつくだろうと思った。
あゆみの、実際にあったエピソードを話すことができれば
「おかしくない」だ。
実際にはなかった空想の世界が語られたなら
「おかしい」なのかもしれない。
さあ、何が出るか!

とその時、
「その話は、やめておこ」と、おばさん。
(え?なにが?なんで??)
「あの、でもね、いい子だったのおー」と、語尾を長くする母。
(そう、いい子だったよね、どこがどこが?)
「もう言わない、言わない」とおばさん。
「ほんとなの」と母。
「だからね、もうね、それはね、言ってもね」と言いながら
おばさんは話題を変えた。

私、思った。
おばさんも、おじさんの話を、泣きながら笑いながら
一生懸命話したじゃない。ついさっき。
おんなじなんだよ、母が孫の話を、思い返してつらいとしても、
それでも話したくて、知っておいてほしい思いは。

もう一つ、思った。
話させないように、聞かずに済むようにしている相手に
それ以上もう話さなかった、ということは
母は「おかしくない群」に入ることができるのかも、と
少し切なかったけれども
とてもよかったと、思った。