子どもの気持ち、よくわからない

2012/05/15

子どもを亡くし、きょうだいがいる場合
遺族は、悲しみのさなかでも、きょうだいのことを考えなければならない。
おそらくどの親も、自らを律して、心がけるだろう。

しかし、つらさは半端でない。
頭では、きょうだいのことを考えようとするも
こころは、亡くなった子に傾き
その子には、もう何もしてやれない切なさに
身の置き所がないと思う。

これまで出会ったご遺族の中にも
子どもの前で悲しむ姿を見せなかった人
子どもの前で悲しむ姿を見せないように、周囲から
忠告されていた人がたくさんいた。

そのたび私は
できる「無理」ならいいけれど
できない無理までしちゃうと、さらにしんどくなるよね・・・
と感じてきた。

ところが、これは逆らいようがないでしょう 
と思えるのは
子ども(亡くなった子どものきょうだい)から
「泣いたらいや」
と言われたとき。
親は必死で頑張るしかない。

夕方になると、淀川の堤防に行き、
一人でひとしきり泣いて、涙を止めて、家に帰る
というお母さんがいた。
子ども(妹)が、「ママ、もう泣いたらいや」と言ったから。

こうした子どもの要求、どこから持ち上がるものなのだろう。
きょう、死別体験のある研究者の一人に、そのことを話すと
「自分も、親が泣く姿を見るのがいやでした。
泣く以前に、家の中が暗いだけでいやでした」
という言葉が返ってきたので
愕然とした。

子どもの気持ちが分らない・・
子どもは、全面的に、無条件に、親や大人が、守るべき存在。
でも、その子から、「泣いたらいや。見たくない」と言われてしまうと
悲しみでこわれそうな親は、一体、どうしたらいいのだろう。
一人河原で泣くしかないのだろうか・・

親を守る体制が整ってほしい。
親を守れば、おのずと子は守られていくのだから。