母の自己主張

2012/09/14

わが家の3階に済むイソウロウの縁談をめぐり
ちょっとしたわだかまりが持ち上がっている。

このところ我が道を行っている母が  ←認知症の薬を服用する身
3階のイソウロウが、自分に何も相談しなかったことに
ひそかに傷ついていることが、きょう明らかになった。

イソウロウは、私に、彼に会ってほしいと言ってきた。
私は、自分にできる万策を考え、行動に移した。
けれども、イソウロウを長きに亘り援助してきたのは
まぎれもなく、私の母。

貯金なんかも蓄えてきた模様。
もう、いらない、あげる!なんて言うものだから
本人にあげて、本人の買いたい物を買ってあげるといい
と私は言うのだが、母は言う。
「私のことなんて、眼中にないのよ。あてにしてないのよね」

母は、認知症と診断されている。
以来、家族は、母を頼ることはできないと考えてきた。
母を背負っていくのが、今後のわが家なのだとも。

ところが、当の母は、若い者に頼ってもらいたく
役割意識をもち、待ち受けており
それが、肩すかしをくらったものだから
すっかり意気消沈、ふさいでしまった。

認知症って、何なのだろう・・・
世話を求める存在、世話する対象
だけではないような気がする。
認知症と診断されようと
今聞いたことが覚えられず、今までできていたことができなくなっても
頼りにされること、役割を与えられること、
人から必要とされることを、取り去られる道理はない と思える。

イソウロウに、私に話をもってくるよりも
母に打ち明け、相談するほうが
いい方向に向かうんじゃないか、と
明日言ってやろうと思う。