ついに意味が見いだせなかった努力
2015/03/18 再開ほっとしました というメールをいただき、
見てくださってるんだあ…
「見まもり」という言葉が、すーっと浮かんだ。
メールをくださったのは
非常勤で務めていた大学の方で、
その先生はいまも在職されているが、
私には、遠い昔のことのよう・・・
ものごとには、大抵意味があると考えている。
うまく事が進まないときほど、これにはきっと、意味がある
と考えることにすると
ほとんどの場合、その謎は、後で見事に解ける。
うまく事が進まないときほど、私は成長させてもらってきた。
ところが、あの大学での勤務は
誰にとっても、意味はなかったように思える。
とにかく授業が成り立たなかった。
突っ伏して眠っている人が、8割。
しゃべっている人、1割。
ちゃんと授業を受けてくれている人も1割はいた。
1割いれば、いいじゃない。
と人からは言われたが、
1割しか聴いてくれないところへ、行く私もつらいし、
相手にとっても、良くないでしょう、と思い悩んだ。
もちろん、相当、努力もした。
教科書は、使った年も使わなかった年もあるが
配布物やパワーポイントの作成に時間を費やし
情報の充実した、分かりやすい授業を心がけた。が、
はなから聴いていないのだから、中身は関係なかった気がする。
年度末には、学生がつけた「成績」が送られてくる。
どの項目も、最低点の「1」みたいな評価。
抜け出る方法が分からなかった。
準備に費やしても、言動に注意を払っても、
集団による評価は動かず、次の年も「1」ばかり。
その大学に行く前の日は、家族から
「顔が別人」「やばいで」と言われるようになり
もう、ひたすら、辞めたくて仕方なかったが、
自分から何かを「辞めます」と言った経験がないことから
行き続けた。
3年が過ぎたとき
専任で採用された先生が、私の科目も担当することに。
自動的に私は解雇。
非常勤なんて、たった1枚の郵便でクビ切られるのだが、
ようやく、私は解放された。
あの3年間は、何だったんだろう・・・
もう、ほとんど思い返さなくなったが、
いまも引きずっていることが、ある。
どうしても関係がうまく築けなかった学生の中に
免許を取得できず、卒業していった人がいたこと。
私が担当していたのは、資格をとるための必修科目だったので
必死で「話し合いましょう。残って!」と言ったが、
「話すことはない」と振り切られ、そこまでだった。
嫌われる というのは、
繋がりや関係性があってのことであり
そこまでのものがないなか
嫌われている、ようで、でも理由がよく分からず
「自分じゃなきゃ、いろいろと、違ってたんじゃないか」の渦に、
また入っていきそうになる。が、
もうやめておこう。
自分は、謙虚と、努力だけ、続けていこう。