自由でよかった。

2015/05/11

動物園におサルの赤ちゃんが生まれたから
名前を公募したところ
もっとも多く寄せられた名前、シャーロットに決定
という発表をしたら、苦情が殺到
というニュースを、ダンナと一緒に見た日のこと。

ダンナは、びっくりし
「ありえへん」と言った。
この名前がいいと思って書いた人の多さと
そのまま数に従って決めた動物園の感覚が。

私は、夫の感覚が、
半分理解できて、半分理解できなかった。

王女の名前をおサルに付けよういう感覚は
私にもないなあ。
けれど、公募しておきながら、却下しても構わない
という感覚も、私にはないなあ。

ダンナに「却下なんかできないよ」と言うと
「いや、失礼すぎる。日本人が笑いもんになる」
と言い切り、ダンナは出勤。

夜、帰ってきて
「やっぱりシャーロットやって」と私が言うと
「らしいな」と、すでに観念したらしく、終わったが
私はもうちょっと考えた。

一位を採用することになっているものを
ダメです。一位はボツにします。二位を採用します
と勝手に決定したら
「シャーロット」で寄せられた数百件の苦情を上回る苦情が
殺到したのではないだろうか・・

そのほうが面倒だ、というのではなく
決めたルールは簡単に変えられないというのが
社会の通念ではないかと感じるので
もとの約束事を貫く姿勢は、良いものに思えた。

ただ、この姿勢を裏付けたのは
イギリス王室に問い合わせ、意向を確認したところ
「どんな名前をつけるかは動物園の自由です」
と返事がきたから、というのだ。

「おサル?いやに決まってるじゃないですか」
とか返事されたら、
その後、どうなっていたのだろう・・・

それはあなたたちが決めることです
あなたたちの自由です(あなたたちは自由です)

いつか言ってみたい言葉だなあ。
動じなさ、といい
大らかさ、といい。