子どもの姿はなくても親だから
2018/10/07 あほダイキ、2階から階段3回も転げ落ちてて。
とよく話題にする。
何回でも同じ失敗するところが、あほ。
でも思う。
2才、3才、4才くらいの時だったかな。
ほんと言うと、危ないことで、これは親の責任。
それを、あほ呼ばわりしていられるのは
何事もなく、無事に生きているからだ。
思うもん。
あゆみだったら、と。
転がり落ちて亡くなったのではなくても
生前、あんな目に遭わせてしまい、と思うだろうし
その事が原因で亡くなっていたら
私はどんな思いをしながら生きただろう。
自分が、すごく危ない目に遭いそうになったときも
あゆみは、この目に遭わないんだ
あー良かった… みたいな。
いなくなったことは、良かったではないのだけど。
亡くなってからも
どう守れるか?を一瞬考えてしまうとき
ああ、いないんだ、をとても強く実感する。
きょう電話で話したご遺族も、そう。
最近、災害多いでしょ
つい思っちゃうの
停電こわい!って
普通の会話のようで、ぜんぜんそうではなく
人工呼吸器のこと。
停電が、命に直結する話。在宅療養の。
ああ、そういう心配、しなくていいんだ
って思うとき、
ほっとするのと、ぐっとつらくなるの
同時だよね
親であり続けることの尊さは
せつない話の中で、色濃くなる気がする。