ご飯を食べるより話を聴きたい

2018/10/16

お会いした人が、
いつもこのブログが更新されるか見てる
と言ってくださり、ひゃ〜

なかなか書けないのは、
あなたときょう会っていました
あなたからこんな話を聞きました
ってことが、書けないからなんですわ。

など言い訳する前に、
相手から聞いたことではなく
自分が言ったことを書けばいいんだな。
それなら約束違反じゃない。

ずっと遺族会を続けてこれたのは、なぜ?
と尋ねてくださったので、私、即座に答えた。

遺族の話を聴くのが(ご飯食べるより)好きだから。
感動し続けているから。

例に挙げたのは、りゅう君のママの話。
(この人には了解を得ている)

りゅう君亡くなって
ママにとって、りゅう君の死が、ものすごく大変なこと。
りゅう君には、もう何も起こらないし
りゅう君は、何ももうしない。つまり静か。

ところが、いま生きている兄弟がハチャメチャで
問題起こし続けてて
そうしているうちに、ご主人が病気になり、こちらも大変。
傍目には、今、家の中は大混乱。

ところが、りゅう君のママ、一向に「大変だ」と言わない。
ぜんぜん、そう思っていない様子。

なぜなのか。
理由を聞いて、私は涙が出るほど感動した。

  荒れるのも、病気するのも、生きているということ。
  生きている人には、何でもしてあげられる。
  死んでしまった子には、何もしてあげられない。

  もっと手をかけてあげたかった。
  もっと困らせてほしかった。
  もっと、もっと、いくらでも。

  今、家族は、りゅうを抱けなくなった私の両手が
  ふさがっていられるように、と
  いろいろやってくれている。

深い悲しみを知った人に
深い愛を感じるとともに
底知れぬ逞しさも感じる。

そんな出会いとお付き合いに、私は魅せられて
ご飯より、何より、遺族のお話が最優先。