あまりに功績の大きかった先生

2019/12/03

知人のご主人が亡くなられ、悲しみに沈まれているので

お宅を訪ねた。

亡くなったご主人は、大きな病院の小児科医で、

私は、エライ人と思って近づくことは、しないので

生前には1度しかお目にかかったことがない。

 

ところが、「坂下さんのこと、あの人はいい人や、って言ってたよ」

と知人が、きょう言ってくれたので、

え~もっとお会いできたら良かった、と思い、後悔した。

 

私が最初に「先生」を知ったのは、

「小さないのち」を作る前のこと。

同じ立場の人と出会いたい、ということを、隣近所の人にも言ってて

そしたら「会ってみたら」と、ママ友だというお母さんの家に、連れて行ってくれた。

そのお母さんのお子さんは、人数の少ない難病。だから会を創りたかった。

そのとき、一から手を貸してくれたのが、その「先生」だった。

 

そんなに患者おもいで、心の広いお医者さん、いるんだ・・・ と驚いた。

私の場合は、あゆみには闘病がなかったので、頼れる医師はいなかったが

話を聞くだけでも希望がもてたのだった。

 

そうして自力で会を創り、

当初は、脳症の会として立ち上げていたので、

亡くなった子と、重度の後遺症を残した子の親が、共存した。

命は取り留めたものの、突然、別人(多くは寝たきり)となったわが子と

どう向き合い、どう現実を受け止めればいいのか。

だから、会にはたくさん当事者が入ってこられた。

 

会員の一人、Uさんのお子さんの主治医が、その「先生」だった。

Uさんは、先生に頼まれて、よく病院を訪ねるようになった。

先生は、ほかに同じ病気の患者さんを診るときには

Uさんに、「会ってほしい。体験談を教えてあげてほしい。気持ちを聴いてあげてほしい」

と頼んでおられたのだ。

Uさんは、子どもを車いすに乗せて、喜んで病院を訪ねていた。

Uさんが言っていた。

 

私も、生きていけないと思っていた

子どもを連れて楽になろうと、何度も思った

でも、生きるしかなく、生きてきた

そんな私が、生きているだけで、人の役に立てるなんて

 

それは、引き合わせて、そういう場を設ける先生がいたから。

医師がするのは、まず治療だが、そこから始まるさまざまな困難に

自らも身を置き、どれだけ多くの患者・家族を支えてこられたことか。

 

なんで、この世に必要な人が、短命なんだ!

なんで、なんで、とまた思う。