患者に悟られないようにすること

2019/12/04

患者さんが、もう長くない、ということになったとき

よく、会わせておきたい人は呼んでください

と言われるが、

これ、難しいなあ、と思った。

 

お見舞に行く人は、現状を知らされている。

でも本人は、何でこんな珍しい人たちが、次々とやって来るのだろう

と不思議に思う。

よく、「自分の身体は自分が一番知っている」

という言葉もあるが、これ、当てにならないと思った。

 

まだまだ治療がんばるつもりで

良くなって退院することしか考えていないのに

次々と懐かしい人が訪ねてくるわけだ。

もちろん見舞い客は、知らされていることを、知らんふりするのだけれど、

やっぱり、ちょっとは出る。表情に。

 

そしたら家族、お見舞に来てもらったこと、ちょっと悔やみだす。

でも、あとになって、やっぱり

あのとき、来てもらってよかったと思う。

 

では患者である本人は、最後の最後まで、

死ぬなんて思いもしない、というのは、いいことだろうか?

早くから知る必要はないが

目を覚ましたとき、え!ここはどこ?と驚くのは、どうなんだろう。

 

病名の告知をするか、どうか、だけでなく、

徐々に、気づいていくというのは、あっていいような気がする。

目が覚めたとき、「こんなはずじゃなかった」と

思うとしたら、一人で思うのは淋しい。