じっと黙って聴く話
2020/01/13やさしさの表れって、何があるか考えると
1つには、話の聴き方があると思う。
話を聴いて相手を「受け入れる」、とよく言われることに対し
私は、そこには無理があるのではないか?と以前書いた。
話を聴いて、それはおかしいんじゃない?と思うことは
誰にだってあると思う。
その「おかしい」を、本当に受け入れられるのだろうか?
きっと、入らないと思う。
私が心がけることは、
話をよく聴くことと、大事に受け取ること。
「おかしい」と思っても、スルーしたり、投げ返したりはしない。
受け取った「おかしい」は、お話がぜんぶ終わってから
そこのテーブルに、大事に置いて帰る。
そして昨日、
勉強会で、参加者の言葉から、考えを深めることができた。
受け取ることさえ、難しい場合について。
「おかしい」を越えて「いやだな」と思う話であれば
そのときほど、さらに聴き方は大事になるのだと思った。
黙って聴く。
どんな話も、じっと聴くが、
自分の手の中に持てないような話の場合
じっと黙って聴く、ということになると思う。
いやなのは、話の中身であって、相手をいやにはなりたくないし
互いに傷つきたくはない。
思い返した。
自分でも、ひどいこと言ってる、とわかりながら
嘆かずにいられなかった日のこと。
そんな、聴いてしんどくなるような話を、
じっと「黙って」聴いてくれた人、
私にもいたこと、忘れない。