専門職者に願うこと

2020/01/21

情報が出せなくなったとき、説教が始まった専門職 の続き。

 

あの保健師、最初は優しかった。

相談内容を聞き、優しい口調で

「機嫌がなおるまで、哺乳瓶を使うのもいいですよ」

(哺乳瓶、大嫌いで、吸いもしない)

「ゴムにはいろんな種類がありますよ」

(ゴム、シリコン、形状も、あらゆる製品を買って、ダメだった)

「じゃあ、やっぱり母乳で、優しく語りかけながら」

(祈る思いで、歌までうたってますって)

「気分転換に、お散歩に出かけたり、おなかすくように」

(おなか、すきすぎて、泣き続けてますって)

私まで泣きそうになっているのに、いよいよ説教。

 

なぜ、あのとき、説教は始まったのか?

 

専門職者は、専門性を保証する「資格」をもって専門家、と名乗る。

その専門性や資格が揺さぶられるとき、

当然、追い込まれ、苦境に立たされる。

このとき、わからないことは、「わからない」と言う勇気や

手を尽くして調べようとする機敏さをもつ人、

決して、防衛のための苦し紛れの言動を、対象者に向けない人、

苦しくても、支える手を離さない人が

真の専門職者だと思う。

 

たくさん勉強し、技術を身に着け、資格をもってからも

さらにその専門性を磨き、研鑽を積むことを怠らない人とも

たくさん出会ってきた。

 

わかるとき、できるときだけ優しいのではなく、

「すぐにお返事ができなくて、ごめんなさい」

「でも一緒に考えていきます」と手を握ってくれ

「調べてできるだけ早く、また連絡します」

と言ってくれたら、もう一度、その人の声が聞けるまで

必死でふんばって耐えると思う。

 

たとえ、結果的に解決策が見いだせなかったとしても

独りじゃない、と思え

本当にわかってくれる人と出会えたとき

人は、大抵のことを、背負い直せるように思う。