怖いのは悪意だけでなく正義感も

2020/05/26

昨日まで悪意の怖さを書いていたが

怖い正義感を思い出した。

 

「隣の奥さん、ムリ~」となった日のことは

5月9日の日記で書いたが、その奥さん

多分、自分は善意の人間と自負していると思う。

引っ越していった時から、引っ越すときまで

やられた。その人なりの善意や正義に。

 

まず引っ越していったとき。

そこは中古の1軒家。小さい男の子がいたんだな

とすぐに気づいた。車庫の壁に電車の絵が描いてあったから。

引っ越しが済むなり、隣の奥さん、「どーも」と来られ

「耳に入れておかないと」と教えてくれたのが

その絵を描いた男の子が、近所の淀川で、水死したこと。

 

もう、びっくりして、

私は、その子が可哀そうで、いたたまれず

ダンナは、そういう家だったら買わなかった、と言い

そんなことを言うダンナが、新婚早々、いやに思え、、、

この絵は消さないからね、とおかしな対立にも発展し、、、

 

「あなたたちにも子どもができるでしょう。

ここは川が近いから、気をつけてほしくて」

というのが、奥さんが出来事を耳に入れた理由だった。

 

私は、頭の中が、ずっとグルグルしていた。

親切なんだ、よね?

情報として、大事なこと、なんだよね?

でも、いまは子どもいない、よね?

新婚早々、落ち込んだ、よね?

それって、いま言う必要、あったんかい??

 

で、ダイキが生まれることになったとき、

ああ、あの時でよかったのかも、と思った。

実際に生まれるのに、亡くなる話を聞くと

もっと落ち込んだかもしれないし

相手も、言い出せなかったかもしれない。

 

ということで、

私は、この奥さんは、勇気ある親切な人

と考え、独特なご好意なども受け容れつつ

その家で暮らしていた。

 

ところが、その後、あゆみが亡くなった。

しかも、きょう普通に暮らしていたのに

夜中に突然、救急車が来て、という

事件か事故かと思われるような亡くなり方・・・

 

お葬式のあと

この奥さん、むり~となったのだが

そのあと、さらに、身動きができないほど

追い込まれることとなったのだ。

(つづく)