互いに沈黙をおそれず
2020/06/26こんなふうに聴きたい(聴いてほしい)について、
昨日、鷲田清一氏の「弱さのちから」から引用した続き
の文章が、的確に指摘してくれている。
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そういうかたちのなさに焦がれて、あるいは
話が途切れたあとの沈黙が切迫したように感じられて、
つい言葉を挟んでしまう。
ただ相手の言葉を受け止めるだけでなく、
「~ということなんじゃないですか、だったら・・・」
と解釈してしまう。
じっくり聴くつもりが、実際には言葉を横取りしてしまう。
沈黙が怖いのである。
言葉が漏れてこないことに焦がれて、
待つことに耐えられなくなるのである。
それでまた、言葉を継ぎ足す。言葉を重ねる。
すると想いとは逆に、すきまがよけいに広がる。
そういうちぐはぐのなかで、
聴かれる側が、みずからの内からこぼれかけた言葉を
見失っていく・・・。
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ほんとうに、そう。
ご本人の言葉以外、言っても意味がない。
私などは、よほど気をつけなければ、
同じ(ような)体験をしているから、
つい、「~ということですか(よね?)」
みたいに言ってしまいがちだ。
そう言うと
「そうなんです!」
と返ってくることも、あるにはある。
そうすると、互いにウレシイ。
けれども、この文章にあるように
聴かれる側(語る本人)が、内からこぼれかけた言葉を
「見失っていく」
ことが起きるとしたら、本当に申し訳ない。
だから黙って聴くことが大事。言葉を待ちたい。
私自身、「沈黙が怖い」は、まったくない。
沈黙、むしろ大好き。
ひしひしと伝わってくるのは、沈黙のなかだから。
なので、ご本人も、沈黙を怖がらないでほしいな
と、よく思う。
「すみません」と、謝る必要まったくないし
沈黙を埋めるように、急いだ言葉で繋ぎ合わせないで、
ご自身も、言葉を待ちながら語ってくだされば。