みじめな私をずっと気にとめてくれた人

2020/06/28

私は、子どもを亡くしたから、子どもを亡くした人の会

を運営していて、このことは

自然であり、理にかなっており、向いていると思っている。

 

そんな私も、あゆみを亡くした直後には

ぜんぜん違うことに意識を向けていた。

病気や障がいをもって生きている子どものための

ボランティア活動。

 

この活動を辞めたのは、クビになったから。

なぜクビになったか?

涙をこぼしてしまったから。

 

もし命を取り留めていたら、あゆみは、この子のような

 

と思った瞬間、涙がぽろぽろと。

それが代表の目にとまり、すぐに呼ばれ

「失礼じゃないか。もう来ないで。あなたは使わない。」

で終わってしまった。

 

「失礼」は、ちがう、と言いたい気持ちがあったが

言い訳するのも、ちがう、と思え、

静かに辞めた。

 

静かに辞めていった私のことを

目にとめていた女性がいた。

彼女は、資格をもって参加していたプロフェッショナルで、

私(なんか)と付き合っても、仕方ないのになあ

みたいに私は思っていたのだけれど、

ずっと心のこもった年賀状をくれて、

私は、返していないときもあった。

元気がなく、1通も年賀状を出さない年があったり

「小さないのち」が忙しすぎて、出せなかった年もあったり。

 

それでも欠かさず、心のこもった年賀状をくれて、

数年前、「1度会いたい」と連絡し、

再会することができた。

 

当時、現場でご一緒できたのは、数回だったので、

待ち合わせで、お顔がよくわからないくらいだった。

そんな関係でありながら、

なぜ、ずっと、私に気持ちをかけてくれたのか?

 

今更、聞けない・・・

 

きょう、また久しぶりにご飯に行って

あっという間に5時間も一緒にいたけれど

やっぱり聞かなかった。

もう聞く必要のないことになっている。

 

出会った人を、大事にしたい

と考えるようになった原点でもある。