なぜ比べて分かりやすくするのだろう

2020/07/07

闘病仲間であった彼女が、主治医の言葉に感銘を受けたことは

良かったと思う。

ただ、同じ年頃で同じ病気になり、

同じようにつらい闘病が続いていた私たちだったが、

「同じではないかも」と思った瞬間だった。

 

少し前、私は日記に、

あゆみのこと、かわいそうに、と言われても違和感ない

が、「かわいそうな子と言われたくない!」という

当事者の声はよく耳にする、と書いた。

 

言葉の概念は、個人差も大きく、把握が難しい。

けれども、行為を、感覚として、

おかしい、とか、いやだな、と直感的に感じることは

核心を衝いている場合があるように思う。

 

自分が、幸せな人生であったことを自覚するために

闘病する病児の姿を確認しに行く。

(病児たちは、いい大人の自覚材料となる。)

このことを、いやだな、と感じたのは

私が、病気で亡くなった子どもの親だから、だろうか?

つまり「私の子を材料にしないで!」といった

拒絶感からだろうか?

 

しばらく考えたが、

そうではないと思えた。

なぜなら、あゆみには闘病がなかったから。

急死に近いあゆみと、重ねる感覚は生じないのだ。

 

次に考えたことは、

(誰も言わないだろうが)このように言われたら、どうだろう?

長生きしても、体が不自由になって、動けず

認知症になって、何もわからなくなっていき

それでも死ねない老人と比べてみたら

貴女の人生が幸せなものであったことが、わかるでしょう。

 

私の結論は、

比べられた側の気持ち、考えるの、つらい。