「さまざまなグリーフを大切に扱う」
2020/07/3123日の日記に、バーチャルリアリティーであっても、
会えるなら「ほとんどの親は」わが子に会いたいだろう、
と書いた。
どの親も、とは書かず、「ほとんどの」としておき、
言い切らないよう心がけているつもりだが
「多くの」くらいのほうが、いいかもしれない。
と言うのも、
お子さん亡くされまだ日の浅い、つらい毎日のお母さんに
このことを尋ねたら、
「VRでも会いたい」とは言わなかったからだ。
終わりがあり、再び別れることは、つらすぎる
という人もいるわけだ。
何事もそうで、自分と同じと考えてはいけない。
毎日日記を書いていると、いろいろ考える。
どうでもいいことを書いてて、なんだかなあ、と思い
主観でものを言っては、どうだろなあ、と思い
あほみたいなこと書いてたら、あかんやろ、と思い
一番こわいのは、
私がズレたことや、しょうもないことを書くことで
「その程度の会か」とみなされてしまうこと。
この会、私の一存ではやっていませんので。
会には、れっきとした理念があり
理念に基づいて運営をしているのですー
その1つが、
「さまざまなグリーフを大切に扱う」
子どもを亡くした親、という共通のなかで
呈するグリーフが、さまざまであること。
そのさまを敏感に感じ取り、
大切に尊重していくことを
運営にかかわる全員が、常に念頭に置いている
そういう会なのですぅー
この機会に言っとこ。