帰ってくる所を知らせるための花火

2020/08/14

きょうは姑の初盆の法要。

お墓に行くか行かないか、昨日書いたけれど

そのお寺のお坊さんのほうから、来てくださった。

 

あゆみのとき、毎週来てくださったお坊さん。

あの頃おじいさんだったので、今は仙人なのかもしれない。

かなりのご高齢。

来てもらっていいのか?と思うが、

来てくださると仰るので、待っていたら。

 

来ない・・・

 

電話したら?する?どうする?

と言っていたら、

ようやく来られた。足音もなく。

 

お経のあとの法話は、

当時も、起承転結わかりにくかったが、

もはや、起、続いて起、次も起、そして起でおしまい。

 

多分、急きょ、私のために話してくださったのでは?

一番前で、かぶりつきで聴いていたから。

お子さんが海の事故で亡くなったお母さんの話。

 

夕方になると、あちこち友だちの家に電話し

そちらへ行っていませんか?

行ってたら、帰るように言ってください

と言って探すということや

夜には浜辺に行って、

懐中電灯をぐるぐる回わす。

こっちだよ、と岸の方向を知らせるために。

 

この話が何かの本に書いてある実話だと言うから

胸に迫るが、誰の何という本なのか?

そればかり気になり

結局、そのことは出てこないまま花火の話へ。

 

十三(じゅうそう)では、毎年、淀川花火大会が

盛大に行われるが、今年は「コロナ」で中止らしい。

花火も、あの世の人に、こっち、こっちと

知らせるために打ち上げているのではないか?と。

 

「あー、そうなんだ」と思った。

この話もいきなり終わるのだが、

終わりの言葉が気に入った。

 

こっち、こっちと、来る方向だけ示せば

帰る方向は、別に知らせなくてもいい。

ずっといてくれても、いい。

 

お坊さんが言いそうにないことを

私の気持ちを見通して言ってくれている気がし

やっぱり、このお坊さん、いいわ。