他人の「思い込み配慮」が苦しめるとき
2020/11/26ある会議の帰りに、その会議に出席していた男性から
相談を受けて、しばし考えた。
その人は、葬儀社の人。
もう何年も前に携わった、お子さんのお葬式で
お子さんのお母さんから尋ねられた。
この子はもう苦しくないか。
親は心配だろう。
闘病中に苦しんだお子さんなら、そのつらさから解放されているか、
事故や怪我で亡くなったお子さんなら、痛さから解放されているか。
その男性は、言葉が出なかった
そのことを、考え続けていると言う。
何を言えばよかったのか?だ。
私は、何も言えなくなったことも、言わなかったことも、
良かったと思うと言った。
理由ははっきりしている。
子どものことを一番知る母親が、わからないことを、
他人が先にわかるのは、おかしな話だし
わかりもしないこと、わかったように言うのは
やめておいたほうがいいからだ。
もう1つ。
おそらく先の問いについては、お母さんわかっていると思う。
けれども、人は、呆然としているときや
持って行き場のない感情が溢れ出るとき
言い方が、よく疑問形のようになる。
何でこんなこんなことに・・・ や
いったい娘が何をしたというの!
のように。
聞き手は、疑問形だから質問なのかと思い
じゃあ答えなければ、と答える。
葬儀社の社員さんには、いろんな人がいて
この男性のように、誠実で真摯に向き合う人、
深入りしないように、無難に関わっておく人。
あゆみのときは、また違うタイプの人で
「思い込みの決めつけ型」だった。
「火葬場には行かないほうがあなたのためです」
と強く言われ、
立っているだけで精一杯だった私は、
泣く泣くあゆみを送り出したが、
あとで出会った親たち、ほぼ全員(99%)くらい
這ってでも一緒に行っていた。
それを知って、また自己嫌悪・・・
他人の思い込みが、当事者をのちのち苦しめること
当の本人は知る由もなく
いいことヤッタ
くらいに思ってたりするんだよなー