泣き虫だった私を鍛えてくれた人

2021/04/03

子どもの身に起きたことを思い返すこと

の続き。

 

私が真に「思い返した」のは、本を書いたときだった。

書き始めたのは、あゆみが亡くなって1年後くらい。

あまり時間が経つと、記憶があいまいになり

事実ではない内容になってはいけないと考えて。

 

自分で書き進めていく過程でも、涙は込み上げ

休憩しないと書けなかったりしたが

編集者の手が入ってからは、凄かった。

 

何十か所も、ビシバシと修正の指示が届いた。

そのときの編集者は、後に出会う女性編集者ではなく

出版社の社長で、こわもての男性。

「ぜんぜん足りない」みたいに言われ、こわばった。

 

自費出版ではない。

(たとえ自費出版だったとしても)

書きたいことを書くのではなく

本は、読み手の関心に合わせるもの。

 

自分から望んだことだし

指摘どおり、修正したつもりが、

また戻って来て、また修正して、また戻って来て

一人、泣いた。

でも完成したとき、褒めてもらえて嬉しかった。

 

これは、本を書くときの話だし

こういうこと、ほかの人もしたらいいとは思っていない。

単に苦しめる行為だとしたら、ケアと逆方向。

本であっても、目的が一致しているかだ。

そして、

心から、その目的を支えようと覚悟を決めているか。

 

私は、あの編集長にものすごく鍛えられた。

あゆみの一部始終、目をつむるところは、どこにもないし

何年、何十年経っても、

あの日、あの頃のことを、詳細に語ることができる。

それが私の強み。

 

つらいことも、苦しいことも含めて

あゆみと生きることができた

かけがえのない日々だから