止まったままの時計がまた増えた
2021/06/10いま会報を作っていて、
連日、講演会の録音を文字に起こす作業。
この作業は、耳から入る言葉を、言葉じゃなく
単に音のようにどんどん入力していかないと、
手が遅れてしまうのに
ついつい意味を捉えてしまって
巻き戻しばっかり。ぜんぜん進まない。
私たちは、2つの時計をもっていて
生活の中で自然と進んで行く時計と
止まったままになっている時計、という話。
(これ、どこかの国の物語にも出てくる)
私、いま考えなくてもいいのに、
2つじゃないなあ、と考えてしまう。
止まったままの時計の1つは ←1番でっかい
あゆみが亡くなった日で止まっている時計だけれど
なんか、ほかにも、いっぱいありそう。
私は、一体いくつ時計を抱え持ってるんだ??
きょう授業で、5月27日の日記に書いた
ヨシタケシンスケさんの一文を取り上げた。
(いくつになっても、あの頃の自分の味方で理解者でいてあげたい)
私にとって、
まず味方で理解者になってあげたい「あの頃の自分」は
小学2年生(8才)の自分です
という話をした。
8才の、あの出来事を回想しながら
うわ、止まってる!!!
と思った。
時計、また1つ増えた・・・
(つづく)