わかると、受け容れるの、隔たり

2021/07/24

また会報を作り始めている。

先日のつどいで、絵本「くまとやまねこ」をもとに

実際の体験談を出し合ったりしたのを、まとめる。

 

この絵本、グリーフ絵本と私は呼んでいるが

つらい死別のプロセスが、よく描かれている。

 

くまは、仲良しの小鳥が亡くなったあと

小さなかわいい箱を作り、小鳥を入れて持ち歩く。

物語の始まりは、

くまは泣いています。仲良しの小鳥が死んでしまったのです。

とあるように、死んだことは、わかっている。

 

死んだとわかっていても、手放せない思い

親たちは、みんなそうだったと思う。

 

このあとくまは、

多くの時間を経て、さまざまなことを経て

森の中の、よく一緒に日向ぼっこをした場所に、小鳥を埋める。

 

このときを、受容というのだろうか・・・

死は、「わかる」と「受け容れる」の間が

ものすごく広い。

 

特に子どもの死は、

受け容れるには、多くの歳月を要する。

何年もかけて、受け容れたようで、やっぱり

受け容れることができていない自分に気づいたり

振り出しに戻ったような気持ちになることも

何度もある。

 

20代のお子さんを亡くされたお母さんが

「あと30年も40年も生きるのかと思うと、途方に暮れる」

と言われていた。

 

ほんと、そう。

子どもを亡くした親のほとんどが

30年も40年も50年も生きるのだから

何年か、で考えなくても、いっそ

10年20年かけるつもりでいいかも知れない。