産んだ子の「取り違い」が起きたりしたら

2021/11/05

63才の男性が

産院での「取り違え」を認定されたのに

実の親を探す調査については、

相手のプライバシーを理由に、

産院を運営していた東京都から拒否されている、

という記事を見た。

 

「取り違い」に気付いたのは、親戚たちが

誰にも似ていない、と言うからだったそうで

「自分が何者なのか知りたい」という思いは

長年にわたり切実だったと思う。

 

ここで、私はまた、変なことを考えしまう。

あゆみは亡くなったが、

本当に私が産んだ子は、生きている、ということになると

私は、その子を連れ戻そうとするだろうか・・・

 

もちろん、相手には意思も感情もある。

そのことは、ちょっと横に置いといて、

「娘がいない私は、病気をすると大変」とか

「身辺整理はしておかないと、してくれる娘はいない」とか

そんなことばっかり日記にも書いているが

私は、世話してもらいたいのだろうか・・・?

 

よくよく考えて

そういう何か「してほしい」ではなく

「いてほしい」なのだと思う。

 

会いたい

触れたい

声が聴きたい

 

それは、やっぱり、あゆみだなあ。

娘はあゆみ一人だけに思える。

 

ただし、もしも

私が産んだ女の子が、どこかで暮らしていて

親から大事にされていないとか

問題を抱えて困っているような状況だとしたら

救い出したい衝動には駆られる。