生きていく子の親はやはり大変
2022/01/18You Tubeの、人生相談という番組をよく見る
と、前にも書いたが
あゆみと、同じ頃、同じ病気で命を取りとめ
重い後遺症を残したお子さん(現在成人)の
お母さんが、介護に疲れ果てている状況を
相談し、助言を受けていた。
お母さんの嘆きや、疲れや、苦悩、
私は丸ごと肯定したいと思った。
「小さないのち」は、当初は遺族会にせず
過半数が病気の後遺症をもつ子の「家族会」だった。
きょう相談をされていた方のような
やり場のない人のためにこそ、家族会は必要
と私は考えてきたけれど、
当事者は、本当に多様だった。
後遺症の度合はさまざまであり
軽くても絶望に陥る人
重くて寝たきりでも明るい人
回復を目指して(回復はしないのだけど)
前向きな意欲を持ち続ける人
そうした親との差異に落ち込む人
落ち込む人を叱咤激励する人。
改めて、きょう思った。
20年を経ても、元の子どもの残像にとらわれ
こんなはずじゃなかった
こんな子じゃなかったのに
と、言わずにいられないのも現実で
実際の暮らしや社会の中では、決して
本音は漏らせないのも現実で、、、
「生きてさえいてくれたら」
と、私たち遺族はよく言う。
ては、知能は0才で成人したあゆみと
毎朝笑顔で始まり
24時間介護をさせて貰えることに喜びを感じて、
これまでやってこれただろうか・・・?
愚痴や不満を言っている自分の姿を想像するのは、
まだいい。
疲れ果てて
虐待に近いようなことをしてしまう姿は
よぎるのも怖い。
本当に大変な努力と忍耐が、親には必要。
親にだけ求めるのでなく
社会の仕組みが必要。