ちょっとヘンだと言われると生きづらい

2022/01/19

昨日は、悲観的に書いてしまった。

病気の後遺症で、知能が0才のままのあゆみを

24時間介護し続ける、ということは

さすがにこの国では有り得ないことだが

後遺症というのは、

重い場合だけが深刻なのではないと思う。

 

あゆみと同じ病気(脳症)になって

普通の生活に戻れた人も多くいたが

普通というのは、とても幅がある。

「ちょっと違う」「ちょっとおかしい」という場合

非常に暮らしにくかったりする。

 

社会生活とか、人間関係というのは

かなり高度なものだと感じる。

日本語には微妙な表現が多くあるし

相手の言葉だけでなく、言葉の裏にある感情を

感じ取らなければならなかったり、

場の空気さえ読まなければならなかったり

そういうことが、上手くできなければ

影でいろいろ言われたり

隅に追いやられたりもする。

 

通常の学級に入って

ほかの子と、少し違う、というだけでも

親は、大きな悩みを抱える。

 

命が助かったとき、

これ以上の幸せはない!と

歓喜したはずなのに、生活するうちに、

苦悩し始める人もいるし

とにかく楽しく過ごせばいい、と思える人もいるし。

 

生まれながらに障がいをもつ子の親は

よく「この子の個性」と言うけれど

中途障がいの場合、どうしても

「もともと」に引っ張られるので

個性と思えるまでのハードルが、ものすごく高い。

 

極端な話

意思疎通を図れず、寝たきりになったあゆみを

「これもこの子の個性」

と、私は言うようになっただろうか・・・?

 

言わないと思う。

ずっと引きずると思う。

だから

あの相談(何年経っても子どもの後遺症を受け入れられない)

のお母さんの状況を、肯定したい。