同じ話をし続ける近所の人

2022/01/20

俗称「捕まったが最後、話が止まらない人」

のことが、知人との会話で話題に出たとき

生前の母のことを思い出した。

 

近所に、上記の俗称そのものの人がいた。

母はいつも捕まって、延々話を聴いていたが

習い事に出かけて、途中で捕まって

教室に行き着くことなく、習い事の時間が終わり

家に帰って来る、ということがよくあった。

 

その人は、

隣の家と、シロアリ問題で裁判になり、

裁判に負けてから、病んでしまったらしい。

話の内容はいつも同じで

悲しい、悔しい、悲しい、悔しい、、、、

だと母から聞いていたが、

母が亡くなって、わが家を訪ねてくるようになった。

 

最初は、「お線香を」ということで

その次からは、私がターゲットになってしまった。

私は、母のようにはいかず、

インターフォンが鳴っても、居留守を使ううちに

免れたのだけれど、

この件に対する、知人の、ある意味共感的な言葉に、

私はガーン。

 

「そんな人、相手にしなくていいよ。

過ぎたことを、いつまでも、

つらい、つらい、って言い続ける人は、

いくら言っても、いくら聴いても、変わらないから。」

 

確かに、あのおばさんは、その通りで

負けた裁判のことを根に持って

愚痴を言い続けている人。

 

ところが

「いくら言っても、いくら聴いても変わらない」

というのは、私たちも似ている気がして

私も、「つらい、つらい」と言ってたなあ。

 

聞かされる相手は

どう思ってたんだろう・・・?

と今更ながら、考えてしまった。

 

でも

言っても、言っても、変わらない

ということはないな。

重さは同じでも、自分で持てるようになった

ということは、

時間をかけて、徐々に、徐々に、

かたちを変化させていったからだ。

 

やっぱり、

何回でも、ひとり思い返し

何回も人に聴いてもらうことは

大事だったと思う。