もの言えなかったのに顔と名前を覚えてくれた

2022/07/18

大阪生と死を考える会が、25周年を迎えるにあたり

寄稿の依頼があり

何を書こうかと考えていたが

やはり、初代会長の谷荘吉先生のことを書いた。

 

谷先生との出会いは、20年ほど前にさかのぼる。

1泊2日で、遺族支援のための研修があった。

会場で谷先生の姿が目に入ったので

講師をされるのだな、と思っていた。

そしたら私と同様に、参加者として来られていたので

私は驚き、感動した。

 

御高名な医師であり、すでにご高齢だったので

その謙虚なご姿勢に感銘を受けたのだ。

遺族支援に、行き着くところはないように思う。

至らぬまま、いつも難しい。

一番の理由は個別性だろう。

遺族の悲しみや、ニーズは、個人差が大きい。

 

谷先生は、こわもてで、

口調もちょっとコワイ感じがし

私は、2日間共に学び共に過ごしながらも

ほとんどお話しすることができなかった。

 

ところが、しばらく経ったある日

新快速電車のなかで、通路を歩く私を

「坂下さん!」と呼び止めたのは、谷先生だった。

思わず、

「覚えていてくださったんですか」と口走った。

当たり前ですよ

と受け取れる表情を返してくださったことが

ものすごく嬉しかった。

 

それからだ。

先生と普通に話ができるようになったのは。

 

私も、たまに言われることがある。

「覚えていてくださったんですか」。

この言葉に、あの日あの頃の自分を思い出す。

 

まだ遺族としても日が浅く、

運営にも自信がなく

知識も拙くて

 

でも、この分野では、

みんな対等なんじゃないか、と思う。

先生と呼ばれる人も、ご遺族も。

もう患者は存在しないので、

遺族ケアというのは

ご遺族から得る情報がほとんど。

 

私も、年だけはとったが

谷先生のように、学び続ける一人であることと

会った人の、お顔とお名前を

覚えていることを大事にしたい

と考えている。