何と何を結び付けると良いかは人それぞれ
2022/08/11新型コロナ感染症の、ご遺族とお話しして
初めて思い至ることがあった。
「家族の誰にも移さなかったんです」。
つまり、一人だけ病気になった、ということは
家族を護った、とも受け取れる。
私も感染症の遺族だが、インフルエンザでは、
家族も罹ることが、当たり前のような、
仕方がないという意識だったが
「コロナ」では、家族の1人が罹ったら
移らないように細心の注意を払う。
先日のわが家もそうだった。
そうして死別したとき
家族が罹らなかったことで
護ってくれたような気持になるのだなあ。
あゆみも、インフルエンザに罹ったのは、
家の中で一人だけだった。
このことを、
あゆみは、家族を護ろうとしたんだなあ
と考えたこと、一度もなかった。
改めて、「コロナ」のご遺族の思いと重ね合わせ
「ありがとう」と心の中で手を合わせた。
けれども、少し考えて
「ありがとう」は揺らいだ。
私が出会った方のなかには
親が先にインフルエンザに罹り、次にお子さんが罹って
お子さんは脳症になって・・・
というお家は何軒もあった。
この場合、親はものすごく自分を責める。
やっぱり
感染症なんだから、罹る・罹らないを
思いや愛情と関連付けると
先に罹った親は、いたたまれなくなってしまう。
何と何を結び付けて、どう捉えるかは
人それぞれであるのがよく
それぞれが少しでも楽になることを
ご本人が考えていくのが、いいと思った。