どんなに小さくても「該当しない」はない

2022/09/29

昨日書いた「あとがき」のこと、の続き。

その文章を最初に読んだとき

あゆみは、あんまり、該当しない

と、まず感じてしまった。

 

けれど、私たちは思い出すことができます。

その人のいた場所や、いつも座っていた椅子、読んでいた本、

ずっと履いていた靴、微笑み、くしゃみ、声、指の先。

 

本、読めなかった

椅子、座っていなかった

靴、履いていなかった

 

このとき、ふっと気づいた。

あゆみが亡くなってから、私は

出来なかったことと、手に入らなかったこと

ばかり考えていたこと。

 

出来たことと、得られたこと、あったはずなのに。

 

笑顔、かわいかった

くしゃみ、して自分でびっくりしてた

声、意外にもハスキー

指の先、細くてきれい しかも爪は縦長

そして

いた場所は、、、ずっと家の中をパトロールしてた

 

ハイハイできるようになって

じっといることが、なかった。

だから私は、亡くなってからも

テーブルの下に? 隣の部屋へ?

もしかして階段!

と家の中を、つい探してしまった。

 

このことを、

さらに小さいお子さんを亡くしたお母さんに話した時

「赤ちゃんだから、寝かせたところに、いつもいた」

と話され、

そうだなー、と思った。

 

赤ちゃんほど、

いつも同じところにいる。

必ずいた場所がある。

 

NICUの看護師さんが言ってた。

亡くなって、退院して行っても

その子のベッド(保育器など)があった場所を、

日に何度も見てしまう、って。

 

どんなに小さい子も

「該当しない」はない。

よかった。

 

だから、この「まえがき」の文章は

よく書けている ←えらそう

と思えたのだ。