あゆみが亡くなったあと独りぼっちだった私

2022/11/12

昨日の、私の「お仕事」について。

 

まず、お仕事、としているのは、

仕事というわけではないから。

私のような自助グループの運営者の多くが

自分の仕事とは別に、頼まれる「お仕事」がある。

無給でしていることがほとんどで、でも、

大事な、大きな、役割なので「お仕事」と。

 

昨日行った大阪公立大学の先生とは、長い付き合いで

この会を創るきっかけになった人であったことを

実は、ずっと後になってから知った。

そのあたりのことを、社会福祉学部の学生に話してほしい

と頼まれて、昨日は行った。

 

「そのあたりのこと」を、かいつまんで話すと、

あゆみが亡くなったとき、私は一人ぼっちだった。

後日、治療に当たってくれた医師に、

同じ立場の人を紹介してほしいと頼んだが、断られ、

そのとき、大阪府立の会館に尋ねては?と言われ、

尋ねたが、そこに情報はなく、別の機関を教えてくれた。

それが大阪セルフヘルプ支援センターというところで

前述の大学の先生が立ち上げた機関だった。

(このことをずっと知らなかった)

 

さらに話は長くて、

まだインターネットのない時代。

セルフヘルプ支援センターに電話したら、

1つだけ見つけた遺族会を教えてくれた。

参加したが、同じ境遇の人の参加がなく

しょんぼり帰り道を歩いていたら、

別の事情でお子さんを亡くされ参加していたお母さんが

声をかけてくれた。

「手紙を書かかない?」と提案してくれたので、

あゆみが亡くなった経緯、出会いたい思い、私の連絡先を書き、

そのお母さんに送った。

 

ここから先のことは良く知らないが、奇跡が起きる。

何か月も経ったとき、「今、お手紙見ました」

という電話がかかってきたのだ。

どうやら手紙を預かったお母さんは、

この人が探している人がいたら紹介してあげてほしい、

といった手紙を添えて、

よその遺族会に送ってくれていたらしい。

受け取った遺族会では、該当者がいなければ、

また別の会に転送をしてくれていたらしく、

手紙の転送が、何回あったかは不明であるが、

同じ年のインフルエンザの時期に、脳症で亡くした母親に

私が書いた手紙が渡った、という事実に、

受話器を持つ私の手は震えた。

 

こうして出会えた二人で、この会を立ち上げた、

という経緯を話し、その後の活動を要約し、

皆さんも、社会福祉士や医療ソーシャルワーカーになって

何らかの事情で「独りぼっち」の立場にある人が

「同じ立場の人と出会いたい」と願ったときに

どんなかたちでも構わない、手を貸してほしい、

といった話をした。

 

皆さん、よく話を聴いてくれたあとで

こんな質問が出た。(つづく)