「ひと言」くっついてガックリするとき

2023/04/11
腰椎圧迫骨折で療養していた松本伊代さんが、
ようやく復帰されたようで、復帰に際し
旦那さんのヒロミさんは、親しい芸人さんから
お祝いのメールをもらった。
その文面が、
「奥様の復帰おめでとうございます」
とあり、最後に、
「それだけです」
と閉じていた、というもの。
んーー、どうなんだろう。
ヒロミさんは、
「お前な、あのメールよこすんだったら、
『それだけです』っていらないからな」
とツッコミを入れている。
どういう意図で書いたのかな、と私も思ったが、
本人は、「よかった!と思って、
急いで、わーっと打ったものの
ほかに要件はなく、ほかに書くことも思いつかず、、、
「それだけです」と付け加えたようだ。
文章って、難しいな。
私には、メールを送った人の嬉しさが伝わった。
ほかの用事などないほうが、いい。
何かのついでに「おめでとう」よりも
「おめでとう」単独のほうが。
嬉しい限りです=それだけです、なのだと思える。
確かに、わーーっと文章にしたとき
国語的に、おかしくなったり、
ひとこと多かったり、少なかったり、してしまう。
文章ではなく、会って話しているとき、
そのひと言、いらんなあ、と思うのは
「それより」。
たとえば
亡くなった子の話をして
つい長くなってしまうことがある。
で、少し間があいたとき
別の話題に変わることは、一向に構わないが、
「それより」と前置きしなくて、いいのに
と思う。
「それより」と言われた途端、
そこまで話したことが、
大したことではなくなり
もっと大事なことが次にきて
私にとっての大事さが、一気に薄められる
そんな気持ちになるのだ。
だから、
亡くなった子のことは、
話す場所や、相手を、考えなければならないし、
話すとしたら、長々話さないほうがいいだろう
といった学習を、
何年にも亘ってしてしまった。
ところが、たまに
短めに話したとき、
もっと聞きたいように
前のめりになってくれる人と居合わせることがあり
その場合、えっ?いいの!とばかり
いくらでも話してしまう~