何をしていても何もしなくても辛いは辛い

2023/10/27

子どもの死後、親の「自責感」から

これ以上同じ思いをする人がないように、と

事故の防止や、病気の予防の活動に

発展していかれるご遺族について

昨日は書いたが

私自身、発想が少し違ったことからも

ほんと、いろんな遺族が存在する。

 

さらに別のタイプのご遺族とも

よく出会った。

共通している言葉として

「もう戻ってこないんですから」。

その前に付くのが、

「今更なにをやっても」。

 

当初の私は、この言葉を聞くと

ああ、諦めが早いんだなあ、とか

受け入れが早いんだあ、と感じていた。

 

でも

そういう人も、いるのかもしれないが

諦めも、受け入れも、早くなくても

この言葉になる人がいるような気がしてきて

考えるようになった。

 

言い換えれば

何をする気力も持てない、とか

向き合うのがつらすぎる、だったりして。

 

それなら、これ以上つらくなること

しないほうがいいし、

何かしなければならないことは

決してないと思った。

 

そういったところを経由して

「同じ思いをする人がなくなるように」

など大そうなことを目指したり

言葉に乗せたりしなくても

いいんじゃないだろうか?

という発想が自分のなかに生まれた気がする。

 

さらに、また考えは変わって

何をするのも、いいし

何もしないのも、いいし

何か大きなことをしている人も

何もしないでじっとしている人も

どちらの立ち位置をとっていても

とてもつらい

と思うようになった。