「思いやりとは何か」の結論が出た頃

2024/03/18

あゆみと暮らした家の、隣の奥さんには

色々とお世話になっていた。

あゆみに母乳を飲ませていた頃、

私は風邪をひき

受診ができず、薬はなく、

どんどんこじらせていったとき

いい開業医の先生の所へ連れて行ってくれ、

待合室であゆみを抱いて待ってくれたりした。

 

このときは本当に助かり

心から感謝した。

「困ったときは何時でも言って」と言われていた。

 

でも、その後の暮らしのなかで、

さまざまな出来事を経て

私はこの奥さんを通して

考えるようになったことがある。

 

思いやりとはなにか?

 

この問いの結論が出たのが

あゆみが亡くなったときだった。

つまり、もっとも弱っていて

人の助けなしには生きられなかった頃だ。

 

人に親切にするのが大好きな人がいて

人から感謝されるのが大好きな人がいて

親切を周囲からも見られるのが大好きな人がいて

これら全部該当するのが隣の奥さんだった。

 

私も、できるだけ人に親切でいたい。

ただ私は、そのことで大層に感謝されると

妙にしんどくなる。

記憶が戻ってしまうからだろう。

 

もし、人に親切にできたら

ああ、よかった

と私が思えることがいい。

 

感謝されたがりと、

評価されたがりが

たぶん一番ニガテ。

 

ずっと後で出会うようになる

遺族の心のケアに関わる人たちにも

そういうタイプの人はいて

わ、でた〜〜

と思ってしまう。