忘れないでいてくれる人が病院にいる羨ましさ

2024/03/27

先日、つどいに、10年ぶりに来てくれた

お母さんのお顔を見たときも、思い出した。

お子さんなくなって、何年か経ってから

先生に会いたい

と思うようになったが

少し敷居が高かったのか、

私に付いて来てほしいと頼まれた。

 

先生との約束の時間まで

外来の長椅子で待つ間

お母さんは、どんな先生か話してくれた。

お子さんを可愛がってくれていたことなど。

 

すべての診察が終わった時、中に呼ばれた。

私は面識もない初対面の先生だったが

お母さんが引き連れていたので

部屋に入れてもらった。

 

先生はお母さんを歓迎してくれて、

お子さんの症状のことや

行ってきた治療のことを

さーっと順を追って話された。

 

さすがだ、と思った。

カルテ見なくても、覚えていて言える。

長く担当してくれるとは、こういうことなんだ

と、あゆみとの境遇の違いを感じながら、

羨ましくなってきた。

 

病気の子を羨ましいとは、

ヘンにも思えたが、

でも突然病気になって

あっという間に亡くなってしまった子どもとの

大きな違いを感じたのは確か。

 

考えると

羨ましいは、病気に、ではなく

通い合っていた関係性に。

 

最後に先生は

「◯◯君がくれた可愛い笑顔、忘れません」

と言ってくれてたもの。

 

わが子が信頼していた人が

本人は亡くなってもずっと忘れずに

病院にいてくれるって

素敵だなあと、羨ましかった。