大切な人の死を知らされたい(?)理由

2024/05/29

26日の日記で、朝のドラマのことを書き

夫たちは(戦地から)帰って来れるのだろうか?

で終わっていた。

 

兄が先に戦死し、

主人公の夫も戦死した。

ところが!

主人公の夫の戦死の知らせは、

父親が受け取って、その紙を隠してしまい、

半年もの間、知らされずにいた。

 

娘(主人公)は、腹を立て

父とまともに口をきかなかった。

見かねた兄嫁が、

「怒っていいのよ!」と切り出し、

父は、娘に平謝りして許しを請う。

 

私は、話の流れには、ついていけていた

はずなのだけど、ふと、わからなくなった。

亡くなったことを知らされなかったら、

なぜ腹を立てたり、怒ったりするのだろう・・?

 

当たり前のことのようでありながら、

明確な理屈は、よくわからない。

 

知らせなかった側の理由は、わかりやすい。

悲しむ顔を見るのがつらい、とか

悲しみのあまり自暴自棄になったらどうしよう、とか

自己都合ではあるが、いくらでも浮かぶ。

 

でも、知らされなかった側のことは、

考えようによっては、「知りたくなかった」

というセリフは想像できる。

決して知りたかったわけではない。

でも、知らされなかったら腹が立つのは

なぜ・・・?

 

危篤の知らせなどは、大事と思う。

死に目に会えるか、どうかは、違いが大きく、

駆けつけたときには意識がなかったとしても、

直接呼びかけ

「耳は最後まで聞こえているから」と知らされれば

間に合った気持ちになったりもする。

 

一方、遠く離れたところで亡くなっていて、

その死をなかなか知らされなかったら・・?

 

毎日、毎日、無事を祈ってきたのに。

無事を信じていたのに。

きっと、それは、そう。

それなのに、

半年間も無駄なことしたじゃない!

とはならない。

 

じゃあ、亡くなった人が

早く知ってほしいと思っているのだろうか?

そのあたりは不確か。

 

やっぱり、

供養のことだろうか。

早く供養してあげたかった、と。

 

それとも、

大切なその人のことは

いいことも、つらいことも、どんなことも、

すべて知っておきたい

ということだろうか。

受け止めきれなかったとしても。