命をかけて我が子を救ってはいない現実

2024/06/03

昨日の日記、

「自分の命をかけて助けるのは

わが子に限っておくほうがいいと思う」

と結論づけて閉じた。

 

これを書くとき、念頭に置いていたのは

自分の命をかけて、誰かを救おうとし、

「誰か」の命は救えたが、自分の命を落としてしまうと、

両親をはじめ、関わりのある多くの人を

とてつもない悲しみに

追い込んでしまう、ということ。

 

その視点しか持っていなかったが

書いてから、

シュン・・・となった。

 

シュンとなった理由の1つ目は、

私自身、自分の命を賭けて

我が子を救ってはいない。

 

2つ目は、

私が出会う親御さんの、おそらく全員が、

そのことで苦しんでいる。

 

小児に限らず若年層の「子ども」が亡くなる

ということは

よほどの事態に直面したからで

救うには、不可抗力

と考えて正しいのだろう、けれど

親にそんな妥協は通用しない。

 

気づけなかった

救えなかった

代わってやることができなかった

この思いに占め尽くされる。

 

遠くで起きた事故や災害の

報道を通して思うことと

わが身や、周辺の実際には

乖離があり、矛盾がある。