複合的な喪失、喪失の連鎖

2024/07/28

昨日の、グリーフケアの講演のなかで

こんなことも考えた。

 

「家族との死別は、複合的な喪失」

と言われている。

私は、このことを

大きな喪失は、そのことだけに留まらず

喪失の連鎖が起こりやすい と言っている。

 

解説で出てきたのは

夢や生きがい

友人やコミュニティ

健康

などが出てきたが、その通りだと思う。

 

私個人で考えると

「写真」も。

あゆみが亡くなってから

写真を撮らなくなった。

撮れなくなった。

ビデオも。

 

それまでは、あゆみの成長を喜び

写真もビデオもたくさんとっていたが

すっかり、誰のことも撮らなくなった・・

 

そして「旅行」。

家族旅行に行かなくなった。

行けなくなってしまった。

外食くらいはするが

ディズニーランドに行くとか

海水浴に行くとかは。

 

行っても楽しめないことや

行くとさらに淋しくなることが

十分に予想できるからだが、

もう1つには

家族連れが賑わうところには

行きたいと思えなくなったから。

 

あゆみ一人を失っただけでなく

「複合的」に喪失したのだけど、

静かに暮らすことが

とても良くなった。

自然の中に身を置くことも

良くなった。

 

自分にとっての「良い」を見いだせた。

ということにしておこう。