「大切な人が亡くなると時計を動かす」

2024/07/29

死別前と、死別後で、生き方は変わるなあ

と思うことの1つに、

「後悔」がある。

 

死別前、というか、ふつうに暮らす中では

何か大きな選択に迫られたときなどは

「する」か「しない」かで悩むとき、

しなかった後悔よりも

したための後悔のほうが、いい。

という考えに立つ人は多いのではないだろうか。

 

人に相談したりしたときも

そのようにアドバイスを貰うことがある。

私も、そういう生き方をしていた。

 

ところが、

大切な人を亡くすと

「後悔のない人はいない」

と言われている。

 

先日の講演でも

このことは出てきた。

「悲嘆反応」の1つとして。

 

「やったことは、やらなければよかった」

「やらなかったことは、やればよかった」と。

 

たとえば、

なかなか病気がよくならないから

思い切って転院した。

そのあと、さらに症状は進んで亡くなると

転院しなければよかった!と思うだろうし、

なかなか病気がよくならないのに

同じ病院に留まり、悪化の一途をたどると

転院すればよかった!と思うだろう。

 

こういう思考は

病気になる前にまでさかのぼり

あのとき、ああしたから、とか、

あのとき、あれをしなかったから、

と原因を探してしまう。

これは、後悔を探しているようなものだ。

 

このことを講師は

「大切な人が亡くなると、時計を動かす」

と表現していた。

「なかったことにしたい」から。

 

あー、そうかー、なるほど。

と思った。

どこからきている思考か?と思っていたが

「なかったことにしたい」

から来ているんだなあ、

大切な人(子ども)が亡くなったことを。

 

なかったことにできない

と認識できるまで

「後悔」を探す旅路は、続く。

これが、長い・・・