空の子どもを感じながら人に感謝する

2024/10/30

あゆみを亡くしたあと

同じ立場の同じ思いの人と出会うために

手紙を書いて人に託したことで

何人もの人が転送を重ねて出会わせてくれた

と昨日は書いた。

だから、この方々に深く感謝していると。

 

けれども、私は、遺族会では

よく別の捉え方で話している。

「子どもたちが出会わせてくれた」と。

 

最初に出会った3才の男の子のお母さんが

私にそう言ったから。

「天国で、子どもたちが先に出会って、

泣いている母たちを助けようと話し合い

私たちを引き合わせてくれたんだ」と。

 

この捉え方を聞いたとき

すごい考え方があるのだなあ、と思った。

そうだと嬉しい!とも思った。

 

さらに、ほかのご遺族からも

同様の話を聴くことが多い。

いいことがあると「あの子が力をくれた」

悪いことがあっても「あの子が助けてくれた」

 

いつしか、私もその文化の中に染まっていった。

そうすると、「いる」と感じられるから。

 

けれども、ふと思ったのは

何もかも空の子どもの手柄にすると

この世の人たちの親切は?

感じていないようにならないか・・・?

 

見ず知らずの私の手紙を受け取り

書いてある通りに行動してくださった方々の

思いやりに対して感謝をすることを

忘れてはいけない、とも思った。

 

どっちが大事、ではなく

どっちも大事。

 

もしかしたら

親切にしてくれた人たちとも

空の子どもは繋がっているのかもしれないし。