取材で話しながら自分を理解していた

2024/10/31

一人のお母さんと出逢わせてもらって

私たちの会を創ろう!と意気投合はしたが

どうすれば人に知らせられるのか・・?

なんの知恵もなかった。

ウェブサイトやSNSがなかった時代。

 

そのとき力になってくれたのが

新聞記者さんたちだった。

取材に来てくれ、熱心に話を聴いてくれた。

こういう人たちの助けもなければ

「小さないのち」は創れなかった。

 

記者のなかで、特に親しくなった青年は

もう50代半ばになっている。

その人と昨日は一緒に過ごした。

私は小中学生の作文コンクールの審査をしていて

彼も審査員になってもらっている。

 

あゆみのことを話す時間は取れず

目的に沿った会話だけで時間いっぱいだったが

あゆみのことは話さなくても

会話しているだけで

一緒に過ごしているだけで

私はあの頃の空気に、ちょっと浸った。

 

泣きながら、一生懸命話してたなあ

何が起きて、何に困っていて、何がしたいか

ちゃんと伝わるように話そうとする行為は

自分が自分を理解していく作業でもあった。

 

ああ、私は本当はこう考えているんだ。

ああ、私が一番つらいのはここなんだ。

 

そんなことさえ見極めきれていない状況で

スタートしてたなあ。

だから多くの助けが必要であり

出会いや人に、恵まれていた。

 

つらいことが起きて始めたことだけど

つらい道の先々で、

いっぱい人の思いやりや、善意の心に

触れてきたこと改めて実感している。