同じ病気になっても違いすぎた

2024/11/01

「小さないのち」ができて何年間かは

遺族会にはなりきれず

脳症の会になっていった。

 

突然病気を発症し、瞬く間に重症化してしまった。

と、あゆみのことを話していたら、

「私の子もです!」

と連絡をくださった方たちの多くは

生きている子の親たちだった。

 

えーー、命をとりとめて、生きている子は

そんなにたくさんいたんやー。

驚き、そして思った。

同じ病気になった子の親は、同じ立場だな。

 

「この病気になる前の、元のあの子は、

もうどこにもいない。死んだも同然」

くらいに言うかたもおられた。

ものすごいグリーフ。

 

だから私は、

この苦境から立ち上がっていく

同じ立場の親たちととらえたわけだが

なかなかそうはいかなかった。

 

同じ病気だったとしても、亡くした人は、

生きている子の姿は見れない

生きている子の親とはわかちあえない

と言う。

 

んーーでも、重い後遺障害をもった子を

育てていく苦難の道は

遺族が歩む苦難の道と、同じ道ではなくても

どっちも助け合っていけないものか

と考えたりしたが、

まあ、「生きてさえいてくれたら」と

遺族はよく言うものなあ。

 

そうして、「つどい」は別々に行い

会報も別のものを作ることにしたが

私自身は、後遺症のお子さんのお母さんに

家に来てもらったり、訪ねて行ったり

今と同じことをしていた。

そうして一緒に泣いたり、笑ったり、していた。

 

会員数は、後遺症家族のほうが多くなっていった。

で、だんだん考えるようになった。

当初考えた

「どっちも助け合えないものか」を

それぞれに助け合うことのほうがいいと。

 

当事者の方たちに、独立を呼びかけたが

「小さないのち」のままでいいと言われ

嬉しいような、困ったような時期を経て

やはり私は、遺族会活動に専念することに。

 

今もあの子たちのことは気になるし、愛しい。

重い障害のある子を見かけると

じーっと見てしまう。

じーっと見たらダメみたいに言う人いるけど。