「単純化されたカテゴリー」には罠が
2024/12/02前に日記に書いたことだけど
庭の花壇にひっかかって、植木に突っ込み
ほっぺたミミズ腫れで血を垂らしながら
痛いよ~!とダンナに訴えたら
「目じゃなくて良かったやん」
と言われたこと、また研修で言ってみた。
「あなたなら何と言ってほしいですか?」
そしたら間髪入れずに
「だいじょうぶ?」という声が聞こえた。
だよねー、と思った。
「目でなくて良かった」と自分でも思う。
でも実感するのは、痛いの収まってからダ。
血が出てんのに「良かった」は早いゾ。
「枝、伸びてたの気づかなくてゴメン!
切っておけば良かった」なんかは超嬉しい。
など、普段の暮らしのなかでほしい
身近な思いやりのことなど話してから
グリーフの話をした。
そして話し終わったとき、
手を挙げた方がおられ、
補足が必要と思われたのだろう。
「最初の話は、男性脳と女性脳の違いです」
と詳しく説明してくださった。
ああ、そうなのかあ、と聞き
勉強になりますと、お礼を言ったものの・・・
はて。きょうは脳の話じゃなく、
グリーフの話で、グリーフを考えるとき
型にはめる考え方が良くないとされている。
男性はこう、女性はこう、だけでなく
どういう亡くなり方は、どうで、
誰が亡くなったかで、こう、
みたいな分類が、とてもよろしくない。
一応、調べてみた。
男性脳と女性脳、で検索したら
一番に出てきたのは、東大の先生の研究、
「ステレオタイプに陥らないために」
結論だけ言うと
シンプルな話であればあるほど
コミュニケーションは取りやすく、
私たちは非科学的な単純化されたカテゴリーの
罠にはまってしまう傾向がある。
なるほど。
確かに「単純化されたカテゴリー」は
コミュニケーションがとりやすくなる。
ところが、グリーフとなると
個人差が大きく、私は「痛いね」が良くても
ぜんぜん違うことを望む人もいる。
「頭、打たなくて良かったやん。
目の1つや2つ、なくても生きていけるけど
頭は打ち所が悪かったら、大変なことに」
と言われて嬉しい人だっているかも?