言うと違って伝わってしまう思い
2025/01/05交通事故被害でお子さんを亡くしたお父さんが
「よう我慢しとるな、俺やったら許さへんわ、
復讐しに行ってるわ」
と身近な人から言われて傷ついたこと
何が良くないのか、ずっと考えている。
おそらく、
「できもしないことを言う」が
良くないのではないだろうか?
同じ立場の当事者になったとして、
いくら加害者を許せなくても
「復讐しに行く」は、できないし、しない。
なのに、第三者の立場からは
「俺だったらする」と言い放つこと。
これに対し当事者であるお父さんは、
「子どもを守れなかったとすごく自分を責めているのに、
その上『俺やったらするけどお前はようせーへんのか」
と聞こえて、傷つく・・・
一方、私が普段、ご遺族からよく聞く
「よく頑張ってるわ、私だったら耐えられない」
という言葉とよく似ている
と昨日は書いたが、
似ているようだが、違うと気づいた。
第三者が、できもしなことを言っているわけではない。
もし「できないこと」を言うとしたら
「私だったら、きっと後を追って行くわ」
など言ったら、
言うのは簡単、できもしないことを!
となるだろう。
でも、病気で亡くした親が
「よく頑張ってるわ、私だったら耐えられない」
という言葉が心無いと言っているのも事実。
今回、2つの立場の2つの言葉を対比し
見えてきたことがある。
言うのは簡単、できもしないことを
ここが肝心ではないか?
ここには両方の立場が含まれている。
病気で亡くした親たちも
「言うのは簡単」
にグサっとくるのではないか?
耐えられない思いで、長い1日を過ごし
また長い1日が始まり、耐えるしかなく耐える人に
さらっと「私だったら耐えられない」
これで共感になるのか??
言葉はやっぱりムズカシイ。
言ったらズレる。
口から出た途端、違って伝わってしまう。
じゃあ何も言えなくなるじゃない・・・