言うと返って他人事のようになってしまう

2025/01/04

昨日書いた、交通事故の被害で亡くなった

7才の男の子のお父さん、

お参りに来てくれた人にも傷ついた

という話が出てくる。

 

私が普段、病気で亡くした人たちから

よく耳にする言葉ととても似ている。

が、さらに強烈。

 

私が普段耳にするのは

「よく頑張ってるわ、私だったら耐えられない」。

このお父さんの場合は

「よう我慢しとるな、俺やったら許さへんわ、

復讐しに行ってるわ」。

 

病死の場合、

憎む対象は、「病魔」ということになるだろうか?

そういう病気になった「運命」にだろうか?

いずれにしても、相手がはっきりしない。

姿がないから。

ところが、加害者がいる場合、

かけられる言葉は、こういう言葉になるのか。

 

お父さんは思った。

「そんなん当然そう思っています。

我慢・・・しないと仕方ないじゃないですか。

子どもを守れなかったとすごく自分を責めているのに、

その上『俺やったらするけどお前はようせーへんのか、

大切な子どもをそんなふうにされて』

そういうふうに聞えました」と。

 

そうかー そうだなあ。

「私だったら耐えられない」

と言われる私たちも

「私だって耐えられないよ!」

と言い返したくなる。

 

「俺だったら復讐しに行く」

と言う人も、実際その立場になると

行きようもなく、行かないのに、

なぜ言うんだろう。

 

きっと、

相手の辛さを最大限肯定したい気持ちから

こういう言葉は生まれてくるのではないか?

ところが傷付けてしまう・・・

言葉は難しい。

 

「私だったら」「俺だったら」は

相手の境地に想像を巡らせて

他人事に済まさない気持ちの根本なのに

返って他人事のように伝わってしまうのは

なぜなのだろう・・・

言葉は、本当に難しい。