わが子をうばわれた母親が抱え続けるもの

2025/02/06

深夜に放送された「歩いても歩いても」

という映画、是枝監督の作品なので

録画しておいた。

内容を知らなかったけれど

子どもを亡くした親の暮らし、老後、

を伝えるものだった。

 

息子は3人きょうだいの長男だった。

海で溺れた男の子を助け

水死している。

このことが、つらくてたまらない母。

父も同様だが、母の悲しみの濃さが、

長女家族や次男家族と明るく過ごす中で

如実になる。

 

次男家族と墓参りに行くと、

花が供えられていた。

誰だろう?と言いながら抜き取る。

そして

「なーんにも悪いことしてないのに」

と言いながら墓石の周囲の草を引く。

 

誰が供えた花が分かっていただろう。

家に帰ると

青年が仏壇にお参りしていた。

大学4年生。

この人を助けて長男は亡くなっている。

 

帰り際に、母は、

「来年も来てください。約束ですよ」

と見送る。

 

私はこのとき、

辛くないのかなあ、と思った。

毎年会って彼の成長を見続けること。

 

次男は別のことを考えていた。

そろそろ呼ぶのやめてはどうか?

可哀想じゃない、彼も辛そうだ、と。

 

母は言った。

だから呼んでるんじゃない

10年やそこらで忘れられたら困るの

あの子にも年に一度くらい辛い思いしてもらう

だから来年も再来年も来てもらう

 

厳しい表情に薄っすら笑みを浮かべて

言い切った。

怖い・・・と思った。

 

事故と病死は状況が違うけれど、

こうした毒のような闇のようなものが

私のなかにもあるように思い、

それがまた怖いと思った・・・

 

次男が「ひどいなあ」と言うと

母親が返した「あら、普通よ」

という言葉、

そうかも、と思った。

世間一般の「普通」を言ってはいない。

私たちにとっての普通、という意味。

 

気になりもう一度見返して

さらに思った。(つづく)