つらいときに欲しい物があるのはいい
2025/02/05スマホでYouTubeみていたら
お座りしている横顔の赤ちゃんと
「お母さんが見つかったよ」という
ショート動画が出てきた。
保育園のお迎え時の様子かな?
と思ったが、「お母さん来たよ」でなく
「見つかったよ」なのは、おかしい。
あ、養子縁組のお母さん!と察しがついた!
が、ぜんぜん違った。
この赤ちゃん、足の親指を立て
足の裏に力を入れていて、
手の甲はぷくぷくで
黒髪はさらさら。
本当の赤ちゃんそっくりだが
生きている赤ちゃんではなかった・・
リボーンドールというらしい。
驚いた。
さらに驚いたことに
否定的なコメントが届くらしい。
作者は、思いもよらない言葉に
考え込んでしまうようだが、
賛同するコメントも寄せられている。
想像するに
お子さん亡くした方のために作ることに
否定的な人がいるのかもしれない。
その立場で役立つ人はいると思うし
もっと別の立場の人の心も満たすように思う。
例えば、お孫さんとあまり会えない人とか?
「人の弱みにつけこんでいる」とか
批判する人たちは、もしかして
第三者ではなく当事者が多いのだろうか・・?
思い出した。
あゆみが亡くなったあと
私も、あゆみの顔に似せて人形を
注文しようかな、と思ったが
義姉さんに強く反対されたこと。
「そういうものを買ってはいけない。
それに依存して回復できなくなる」と。
注文するのはやめて、
あれから、ずーっと生きてきたが、
何かを手にすることで回復しづらくなる
というメカニズムはないように思う。
しても、しなくても、つらいは、つらい。
その後、今も思うのは
そのとき、そのとき、
自分にいいと思うことを、し
いいと思うものを、手にし
今できる小さなことを
ひたすら繋いでいく。
そういう生き方でいいように思う。