嘘などつくつもりなく嘘になることがある
2025/06/12「後悔」のない死別はない
と言われるが、知人の話を聞き
その思いをまた強くした。
お母さん、朝亡くなっていた。
夜中に見に行けばよかった
など悔やむのかな、と思っていたら
それは普段からしないことだから
そうでもないようだ。
普段からしていて
その日たまたましなかったことが
あったことを知った。
帰宅したとき、
いつものように晩ご飯用意してあって
食べるつもりだったのだけど
その日はお酒飲んで帰ってきてて、
部屋に着替えに行ったときに
急に睡魔に襲われ、ゴロン、
眠ってしまった。
仕事が立て込んでいたのもあった。
最後に作ってくれたご飯
一緒に食べようと
待ってくれていたのに・・・
そのとき顔を見ていたら
何か異変に気付いたかも・・・
専門家は、何の前触れもない発作
とみているようだが、
何か気づけたかも!という思いは
見ていないからこそ持ち続ける。
そして一番は、これだと。
「すぐ降りてくるから」
と言ったのが、嘘になってしまった。
つまり
最後に嘘をついてしまった。
つらいなあ。
最後に「ありがとう」を言えなかった
といった悔いもよく聞くが
最後の言葉が嘘だった
と思い続けることは、
本当につらい。重い。
「分かってくれてるよ、お母さんは」
みたいなこと、言いかけて、
他人が軽く言うことではない
と思い、言葉を呑んだ。
軽くしたくて言うようなことは
軽くはならないそのことの重さが
まったく理解できていないようなものだから。